プロフェッショナルボイス

オリーブスマートイヤープラス(集音器)企業ご担当者様の声

”郷に入れば郷に従え”

メジャーリーガーの夢から一転、その先に見えた世界

株式会社Richland 代表取締役 矢野宣昭氏

ベトナム、日本と2拠点でデザイン会社を経営している矢野宣昭氏。日本に支社を設ける以前は、長年アメリカでビジネスに携わっていたという。渡米当時、英語を聞きとることすらままならなかったという若き青年はなぜ、海外に渡り起業に至ったのか。海外で培ったコミュニケーション力と聞こえの重要性を伺いました。

スーツケースひとつで渡米
捨てきれぬメジャーリーガーの夢

-はじめて海外で仕事をしたきっかけは何だったのでしょうか?

矢野)人様にお話しすると驚く方もいますが、わたしはメジャーリーガーになりたくてアメリカに行きました。小さい時からずっと野球をやっていて、高校時代は甲子園にも出場するほどでした。真剣にプロを目指したのですが夢叶わず一度諦めました。人生の目標を見失ったわたしは自暴自棄になり、有り余るエネルギーを注ぎこむ何か他を探していました。
結果、これが現在のわたしの仕事に繋がっているのですが、関心があった金融を学ぶため、大学院に進み国際金融論を専攻、卒業時に複数の金融関係に内定のお話をいただきました。けれど、どうしても野球が諦めきれない(笑)。結局内定を全部断り、アルバイトで貯めたお金と野球道具だけを持ってあてもないまま渡米しました。

-メジャーリーガーを目指していたとは。アメリカでの生活はいかがでしたか?

当時は英語もほぼ話せなかったんです。それでも自力で全米各地を回りながらテストを受け続け、チームと契約寸前まで話もまとまりました。しかしこの続きがあって、ビザ問題でアメリカ滞在がままならず、二度目の野球人生を諦めることになりました。さぁ、いよいよ帰国か!と思ったその時、貯金が底を尽いていることが分かり飛行機代を払うお金もない。そこでアメリカに残り仕事を見つけることになったのです。

-野球人生から一転、アメリカでビジネスをすることになったのですね。実際、お仕事をなさられて何が印象的でしたか?

矢野)仕事の能力の求められ方はどの国も同じだと思いますが、アメリカで仕事をする上では特にコミュニケーションの必要性を強く感じました。異文化の多人種が複雑に絡まり合っているアメリカでは、考え方や価値観が全く違いますから、自分はどう思っているのか、どうしたいのか常に相手に伝えることが必要です。日本では、遠慮や曖昧といった表現も美徳となる場合も、海外で仕事をしていく上でむしろ逆効果、不信感を招く恐れがあります。わたしの場合は、アメリカで得たコミュニケーションの違いが現在に大きく影響していると感じています。

アメリカからベトナムへ

-現在は日本、ベトナムでビジネス展開をなさられていますがどのような事業ですか?

矢野)メインはベトナム国内にて大手外資系ホテルと提携し、ホテル全体のコンセプトからインテリアデザインまでの範囲を請け負っています。また最近は、財務部門の新たな事業としてベトナムへ進出する企業の進出支援なども行っています。
アメリカにいた当時、わたしはこのまま永住するのか、どのタイミングで海外を出るのか、考えていました。そんなとき、デザインを手掛ける現在のビジネスパートナーと出会い、彼がベトナムで事業をするタイミングを待って、私も視察旅行にいきました。
当時、ベトナムは経済成長の真っただ中。現地の人は明日という日を心待ちにし、夢いっぱいで生活をしていました。あぁ、次の目的地はベトナムだな、と(笑)直感しました。
仕事はホテルやレストランのインテリアデザインです。私は財務を担当しています。現在こそ、日本を本社機能にするまで成長しましたが、起業当時は、ベトナム人スタッフとパソコン一台からスタートしました。家賃さえ払えず(笑)そう思い返すと、なかなか面白い人生かもしれません。

事業成功のきっかけとベトナム人スタッフの助言

-ベトナムでの事業は苦労があったと伺いました。好転のきっかけは何でしょうか?

矢野)ある時新しいプロジェクトが始まったのですが、スタッフがなかなか思う通りに動いてくれない。仕方ないので状況を把握するためにしょっちゅうミーティングをし、報告を義務づけましたがあれこれ理由をつけてルールを守ってくれない。こちらもどんどんスタッフに対して厳しい態度になっていきました。だんだん彼らは私に近づかなくなり、私も正しい状況判断ができなくなって問題が噴出、プロジェクトが行き詰ってしまいました。ほとほと困り果てたある時、「もう日本に帰ろうかな。」と思わずスタッフの前で愚痴を言ってしまいました。そうするとスタッフのひとりが、「一度私たちに任せてもらえませんか。私たちにアイデアがあります」と言ってきました。特に他の方法もなかったので期待しないで任せてみました。すると彼らは彼らなりにチームとなってどんどん問題を解決していき、なんと予定より早く納品を完了したのですね。現地のスタッフからすれば、外国人であるわたしが偉そうにするより、彼らを信頼し、彼らの能力を尊重することだと学びました。この成功体験がきっかけとなり、社内に好循環が生まれ、事業が上向きに転じました。後に彼らと本音で話してみると、彼らも意見があったけれど、言い出せない雰囲気だったと言われ、反省しました。まさに”郷に入れば郷に従え”彼らを理解しようとせず、日本のやり方の方が優れているからと彼らが意見を言い出せないような雰囲気を作り出していた自分を反省しました。

はたらく×ヘルスケア
ワンタッチで外と繋がれるオリーブスマートイヤープラス

-オリーブスマートイヤープラスの使い心地はいかがですか?

矢野)なにより一番気に入っているのは音楽を聴いていても、ワンタッチで外音を聞き取れることです。相手のちょっとした一言や世間話がとても重要だったりするので、イヤホンを装着していても1秒で切り替えられるのはとても重宝しています。また音楽を聴きながらでも同時に外音が聞き取ることができるので、道を歩いている時でも周囲に気を配れるので安心して使用しています。

-使い始めたきっかけは何だったのしょうか?

矢野)私にとって情報は仕事の大事なツールであると同時に一番の武器だと考えています。例えば駅や空港などで、隣の家族連れが話している何気ない日常会話の中にもビジネスのヒントが隠されていることもあります。常にアンテナを張り巡らせ、情報が入る状態にできることが何より不可欠だと感じています。そうした環境作りの一環に、わたしはオリーブスマートイヤープラスを選びます。

今後の活動域は、ASEAN全域
ビジネスで世界平和を目指す

-今後の目標を御聞かせください。

矢野)今後は活動範囲をASEAN全体に広げていきたいと思っています。また日本支社は、デザイン事業に終始するのみならず、新規事業を倍速的に進めます。今一番注目しているのは農業ですね。日本の多くの農家は非効率なため利益が出にくい構造になっていました。しかしながらIoTの活用などにより劇的に農作業が効率化できるようになり、農業はしっかりとした利益を出せるようになってきています。弊社では来年を目途に新規参入を目指しており、将来的に日本での収益の柱にしていきたいと考えています。
事業とはすこし異なりますが、ベトナムには財団を設立し、奨学金などで留学サポートも考えています。ベトナムだけでなく、これから発展する国にも積極的に進出できればと思っています。並行して、中央アジア、ロシア、アフリカの経済成長にも関心があります。途上国に限ったことではありませんが、正しい財の分配、分業により世界で起る天災、戦争、そうした災害をビジネスが調和に向かわせるとわたしは信じているからです。

矢野宣昭
Nobuaki Yano

株式会社 Richland代表取締役 1975年生まれ。
アメリカで不動産業に携わり、ベトナムで2012年デザイン会社を設立。2020年より日本法人 株式会社ZOO JAPANを設立。

■株式会社ZOO JAPANについて
「Diversity of Idea」をコンセプトに、ホテルデザインを軸に、ライフスタイルに寄り添う設計デザインを展開。日本、ベトナムの2か国に幅広い顧客層を持っている。事業を通じ、日本の農家の再建など新たな事業構想を進めている。

【会社概要】
・社名:株式会社 Richland
・設立:2020年9月
・所在地:東京都渋谷区恵比寿4-5-14
・代表取締役:矢野宣昭
・事業概要:インテリアデザイン、関連施設のプロデュースおよびソリューションの提供
・URL:https://zoostudio-asia.com/

取材を終えて
ー矢野宣昭の考える聞こえー

最後に矢野氏が恐縮しながらも、力強く意見されていたのは海外に出てみずからの耳で聞き、体験することのたいせつさでした。

「聞くということは、自分本位で相手の話を聞くことではないのだと思います。相手の意図を第一にまず聞き取ることで不思議と事がスムーズに運ぶことがあります。これからもアンテナを張り続け、国境を越えて活動していきたいですね。」

世界を見据えるその想いの根底には、日本の存在をこれからも高めていきたいと願う深い愛国心がありました。オリーブスマートイヤープラスは、これから渡航をしようと考えている方に、挑戦をしようとするすべての方に、よりクリアな聞こえでみなさんの挑戦を応援します。